最愛の母を自宅で看取る事ができました

Three nurses with white wings on their backs

今から介護奮闘記を記録として残して行くつもりが
2022年1/23の夜中に亡くなりました・・・・
思い出として
また

自宅での介護を考えている方へ
すこしでも参考になればと思い書き残します

突然救急車で搬送されました

1/20日
その日は仕事でした

たまたま息子が学校へ行く準備をしている
その時に母が突然の嘔吐を何度も繰り返し
母親はあまりの腹痛でトイレから動けなくなっていたそうです

自分から救急車を呼んで欲しいと息子に伝えそのまま救急車で通院している病院へ

その間、何度も私へ電話をかけた息子
「普通の嘔吐ではない、便臭がする」と私はあまりの忙しさでえっ!!
と思いながらも
「今どうしても離せない処置がある、それが終われば向かうから」と伝えていました
まさかそこまでの痛みで苦しがっているとも知らず・・お母さんごめんね😭

すぐに早退し病院へ🚗💨

その途中で救急隊から電話があり

急変した場合どこまで処置をしてよいか

挿管(口から管を入れて呼吸を確保)や心臓マッサージはしなくていいです

心臓マッサージは行わなければならない

と言われました。

とうとう覚悟をしなくてはいけない時期になったんだと思うと
病院へ向かう車の中で涙があふれてきました

病院到着

病院へ到着すると息子が一人個室で私を待っていました

救急外来の医者から

どこまで処置をしますか、点滴、採血、酸素投与はしてよいか

心臓マッサージや挿管等の痛みが伴うような事はしてほしくないが、採血や点滴・酸素は希望します
お願いします

と答えていました

それからしばらく待っていると、観察室へ移動され

母親が移動されてきました

話しかけると返事があるが苦しそうで・・・
ストレッチャーで動いたせいで「気分が悪い吐きたいと」
すぐにビニール袋を用意し口へ
なんとほんとに嘔吐が泥状で便の臭いが・・・・

一晩病院で過ごす

今日は主治医が休みのため観察室で一晩泊まる事になり
明日詳しく検査することになりました

母親の容態は少し落ち着いていましたが
お腹は変な痛みがあると訴えていました

当直医

鼻から管を通し胃の内容物やガスを抜いたら楽になるから
鼻から管を入れてよいですか?

と確認されました

たぶん母親は断ると思いますが本人が同意するなら入れてください

しばらくして案の定

当直医

本人が拒否しているので管を入れることはできないですね~
嘔吐が続くようなら入れることを本人と約束しました

母は常日頃痛い思いはさせないでと言っていました
私は心では入れると少し楽になるけど・・・・と思っていました

でも母親の気持ちを尊重しなければと気持ちを切り替えました

当直医

先月胃を広げるためのステントが少しずれているようなので
ステントを足すか入れなおすと
胃の内容物が腸へ流れて症状が落ち着くと思います
詳しくは明日主治医から説明があると思います

まだ希望はあるんだ大丈夫かもしれない!!😀☆彡

希望から絶望へ

翌日は朝8時半に病院へ来て欲しいと言われ
母親は痛みも落ち着き寝ていたので私は自宅へ戻りました

翌日、ステントを入れるため入院すると思い入院準備もバッチシ行い病院へ
相変わらず無表情の主治医より

主治医

ステントはずれていないと思われる
胃カメラを入れて中の様子を見てみます

その間私は大丈夫だろうと呑気にお昼を食べに行っていました
胃カメラは意外と早く終わったようで交代に来ていた姉から電話で呼び出されました

主治医

やはりステントはずれていなかったです
胃カメラが通れるほどの穴も開いている
癌が広がり消化器系が動かなくなっている
そのため内容物が溜まった状態である
これ以上することはない
訪問診療の先生はまだ決まってないのですか?

明日午後に契約します

ちょうどほんとに明日の午後契約する予定でした

その会話で消化器系が動いていない

食事は無理

手足ははむくんでパンパン、そこに点滴しても一時しのぎになる・・

いつまで一緒いられるのだろう・・

でも来月までは一緒にいられるのでは
と漠然を思っていました

その日は寝ている母親に「良かったね家に帰れるよ」というと
嬉しそうにパチッと目をあけ
手足はパンパンにむくんできつそうでしたが
それでも自分から車椅子へ移動し車で家まで帰りました

今考えるときつかったろうな・・・
でもやはり自宅へ帰りたかったんだね~

コロナでなければ面会もできるので入院も検討の余地はありましたが
今入院すると会えないまま別れてしまいそうで
入院は全く考えてませんでした

コロナで苦しんでいる方々がいることを考えると
早く終息してくれることを心より願います
(2023年5月8日コロナは季節性インフルエンザと同じ5類へ変更なりました)

突然の激しい痛み

17時には帰宅し痛みも少し落ち着き
ウトウトしてはいましたが会話はできました

日が変わって夜中の2時に
「トイレへ行きたい」「お腹が痛い」と言い
息子と二人でトイレまで移動
しかし便はでず戻ろうとすると力がでない。

二人でほとんど抱き上げる状態でベットへ移動

「便がでるー-痛い、痛い」と
私は「いっぱい出していいよ大丈夫だから」と何度も言うと
泥状便がどんどん出てきていました

激しい痛みで七転八倒とはこのことかと思うほど
居ても立っても居られないほどベッド上で騒いでいました
口から薬を飲めるというので痛み止めを飲ませると「どれぐらいで効いてくる?」と何度も私へ聞いてきました。


背中をさすったりしながら
息子も一緒に
そばにいました

少し落ち着いては痛いと・・
1時間毎に痛み止めを飲ませ
さらに座薬を入れていました

朝6時にはさらに苦しがり手足の色も悪くなる一方
病院へ「行こうか」と私が問うと
「うん、でも歩けないからもう少しこのままでいたい」と
痛みの波が落ち着くと少しウトウトし始めたので少し様子をみながら経過をみていました・・・

訪問診療・訪問看護が来てくれました

朝9時前に訪問看護へすぐに電話
訪問診療の先生へ早く訪問することをお願いしました

訪問看護師が到着
10分遅れで訪問診療の先生が到着し
むくみで血管が見当たらないので
直接皮膚へ注射(皮下注射)をして
癌の痛みを抑える薬剤を少しづつ流れるようにセットしてくれました

それでも痛みがある場合はボタンを1回押すと痛み止めが倍の量流れる仕組みで
15分開ければ流して良いと説明をうけました

母親は先生を見ながら

いつになったら良くなりますか?

と聞いていました

先生には「告知していません」と伝えました
先生は「大丈夫ですよ痛み止めの注射をしていますから安心して下さい」
と答えてくれました

激痛だと思うが良くなると信じている母親をみて胸が苦しくなりました

母親が生きる希望があったのには理由があります
私にも孫が生まれまコロナで会えずにいました
姪も妊娠しており
ひ孫が生まれるのを楽しみにそれまでは生きると言っていました

先生はとても優しく穏やかな口調の方で安心したのを覚えています

痛み止めを流すと普通ならすぐに効果があらわれるのですが
母親は痛みがまだあり
先生も量を調整しながら時間をかけ少し楽になるまで様子を見てくれました

痛みも少し落ち着いたので
先生と訪問看護師から心配だから「明日も伺います」といい帰られました

痛みのコントロール

痛み止めの注射をつなげたまま1時間に1CC流れるように持続的にセットされていました
それでも痛みを訴えていたので
時間を見ながらボタンを押し倍の量を流していました

量を増やすと表情も楽になっていました
看護師である私は薬の量が増えるとどうなるかも知っていました(呼吸抑制)
しかし痛みを優先しました

夜9時ごろから言動もおかしくなり
目の焦点は合わずうわ言を言い始めました

何度も「大丈夫だよ」
「注射しているから、痛かったら言って」と伝えていました
意識も朦朧とし、手や足先の色は紫になっていました

夜12時頃に看護師でもある姉が来てくれて
「私が代わりに見ておくから休んでいいよ」
と言ってくれたので少し横になっていました

覚悟はしていたがついにこの時が来ました

1時頃に姉が私の息子に「秒針付きの時計ある?」と聞いているのが聞こえて
すぐに飛び起き母親の側へ

私が呼びかけても反応はなくなっていました・・・

「苦しかったね」「よく頑張ったね」と心の中で話し掛けその時は涙は出なかったです

姉の話では呼吸が止まったのが午前1時10分だったとの事
すぐに訪問看護師へ連絡
そこから診療の先生へと報告が行く流れになっているようでした

兄弟、孫に連絡しすぐにみんな駆けつけてくれました

先生と訪問看護師も夜中だというのに30分ほどで駆けつけ
先生が対光反射を確認し呼吸が止まった時間で死亡確認とし
自宅で死亡届を記入
注射をとり先生は「お力になれずに本当に申し訳ございませんでした」と温かい言葉を頂きました

訪問看護師は母親の最後の処置を私たち家族と行い帰宅しました

訪問看護師さんとはまだ12時間前にあった程度なのに涙を流してくれました
ほんとに優しい方なんだと心よりうれしく感じました

母の死後

亡くなってしばらくは
悲しむ事も出来ないぐらい告別式の準備などで忙しいと聞いていましたがほんとうでした

葬儀の打ち合わせ等があり
すべて終わったのが朝5時でした。

兄弟も自宅へ

母親は死に化粧で綺麗になり穏やかに寝ていました。

一人になった時に今まで我慢していた悲しさが込み上げてきて大泣きしてしまいました

息子2人は見ると悲しくてつらいと言い

母親を見ることが出来ない状態でした
私と息子は最後の一晩一緒にいました

その間
母親にずっと話しかけていました
どんなに頬を軽くたたいても
顔を揺らしても
やはり目を開けることはなかったです(当たり前ですが)

みんなも抱くであろう

少し時間が空いたのでブログを書くことで今の自分の気持ち
これから体験するであろう方へ少しでも参考なれればと思い書いています
書く事で気もまぎれるのではないかという理由もありますが

しばらく仕事、どうしようか・・・・・

職場に迷惑が掛かると思ってはいても今仕事ができる精神状態ではないです

今の私は虚無感です!!

それではいけない
私たちが悲しんでいると母親も悲しむのでそれではダメだ明るくしなければ・・・・

そういわれても悲しいのは悲しいです
今はどっぷりとその気持ちを私は抱いていいと思っています

時間が解決してくれると信じて
ずっーと一緒だったのでいつもいる場所に母親がいないと思うとやはり悲しいし寂しさが増します

私は今はそれでいいと思っています・・

今までほんとにありがとう、痛みのない天国で父親と一緒に楽しんでいるかな・・・

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